" ファクターX "をさかのぼる「王朝の庶民生活と疫病」
今日の講義はおもしろかった。
今年は、コロナがらみで 疫病関係を歴史史料の中で探るをテーマに 学びを選んでいる。時々 これが知りたかった という 項目にも出会え、そこから枝葉を広げる為の参考図書を探しては 自己学習に繋げることもできており、おまけにその読書が 短時間集中型の暑さしのぎにも繋がってくれている (^0_0^) 。まことにありがたい。
今日の講師は 大学のスクーリングでも教えをいただいた事のある先生であった。資料も豊富で なにより話がトントント~ンとリズムがあって退屈しないのである。この時期なんと言っても 対面で 集中して濃~く 学べる時間がありがたかった。
今日も 時間内で語り終わらなかったほどの資料・史料と中身の濃さは、時間を見つけて自己学習せねばもったいないと思わせられた1時間30分の講義であった。
・・・秋になったら頑張ろう! (^o^ゞ\バキ!!
※) コレラ菌には「アジア型」と「エルトール型」があり、1817年から6回世界的な流行あり。日本最初は、文政5(1822)年に大坂で被害あり
※) 1829~1852年、世界的大流行。日本は無傷。1854年、ヨーロッパ大流行する。英国は、井戸水管理・上水道整備する。以来大流行なし。
※) 3回目の世界流行。東南アジア ➡ 中国 ➡ 長崎上陸 安政のコレラ大流行
※) 西南戦争・明治10~12年頃
・ 西南戦争 ➡ 神戸への帰還船、愛媛の漁村 ➡ 九州 ➡ 西日本 ➡ 東日本
・ 全国的な大流行(患者・死者数 統計史上最高 162637,死者8027)
※) 1883年から始まった5回目の世界的流行。アフリカが舞台。
1884年コッホが「コレラ菌発見」
※) 最後の世界流行 1899~1926年。
1945年以降は限られた地域の流行病となった。
コレラの歴史(ウィキから全文 参考転載)
第1回 - 1817年、 カルカッタ に起こった流行は 、アジア全域から アフリカ に達し、 1823年 まで続いた 。その一部は長崎から侵入し日本にも及んだ 。
第2回 - 1826年 から 1837年 までの大流行は、アジア・アフリカのみならず ヨーロッパ と南北 アメリカ にも広がり、全世界的規模となった 。 ...
第3回 - 1840年 から 1860年 にかけて発生 。
第4回 - 1863年 から 1879年 にかけて発生 。
第5回 - 1881年 から 1896年 にかけて発生 。
(人類が唯一懸絶できた感染症)
「天然痘(疱瘡・痘瘡とも)」だけが、1980年 WHO撲滅宣言を出す。
最古の例は 紀元前1100年代 に没したエジプト王朝の ラムセス5世 である。 彼の ミイラ には天然痘の痘痕が認められたという。
今更ながらであるが、
・・・「感染症」と「伝染病」と「疫病」の違い
「感染症」は細菌やウィルスなどの病原体が体内に侵入し、下痢や発熱などの症状を引き起こす病気の総称。一方、「伝染病」は感染症のうち、人または動物から人へとうつるものをいう。食中毒や破傷風などの伝染しないものは「感染症」となり、インフルエンザやコレラや水ぼうそうなどの伝染するものは「伝染病」であり「感染症」である。
また、「疫病」は伝染病のうち、多数の死者を出すなどの社会的に甚大な被害を与えたものをいう。疫病と呼ばれる伝染病には「ペスト」や「スペイン風邪」
※) 伝染病予防法(明治30年(1897))制定されるも、1999年施行の「感染症予防法」に統廃合される。
※) レポート課題を一本書けるほど勉強した~ (。_・)ドテッ
コロナはどのように記憶に残されていくのだろうか?
※)
https://www.eiken.co.jp/uploads/modern_media/literature/MM1007_03.pdf
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欠席してしまった前回第2回「祇園祭の創始と変遷と変遷」~ 疫病退散のまつりから巨大都市祭礼へ ~ の 資料も貰ってこれた。
と、気分よく午後3時頃帰宅したら・・・
体操・鉄棒の航平クンが、まさかの落下で予選落ちのニュース。(>0<)ワーン
愉しみ・・・無くなった~。(オーバー)